タクトが示す
「我楽先輩が狼我楽・・・?」
「うん、そう。」
軽く彼は言うけれど、赤松の心中は大嵐だった。たまにふらりと音楽室に来ては赤松にちょっかいをかけるこの男が、まさか”あの”超高校級の指揮者だなんて思わなかったからだ。
狼我楽―――通称超高校級の指揮者、若干十五にしてベルリン・フィルやウィーン・フィル、世界の冠たるオーケストラに客演として呼ばれた実力者だ。
「だってステージ上と全然違いますよ!」
そう、超高校級のピアニストたる赤松がこの男の事を知らぬはずがないのだ。
赤松は彼のCDを全て所持していたり、日本公演の際は必ずチケットをとる程度には彼のファンだった。だから、ずっとヨーロッパにいた彼が学業のためと言って日本に戻ってきていることも知っていた。
ステージやインタビューの彼は、黒髪をきっちりとオールバックに整え、黒の燕尾服姿も凛々しい精悍な印象で、目の前の男は茶色の髪を鳥の巣ヘアに、制服のズボンは頼りなさげに腰に引っかかっている。超高校級の指揮者というよりも、超高校級のチャラ男やナンパ師と言った方がよっぽど理解できそうだ。
しかし、その顔立ちをよくよく見れば確かに狼我楽のものだ。
「あ、本当に気づいてなかったんだ」
チェシャ猫のように笑って、赤松に顔を近づけた。
「気づいてませんでした」
ベートーベン、ブラームス、マーラーにシューベルト、彼の演奏はどれも素敵だった。なかでも特に感動したのは、ショパンのピアノ協奏曲第一番。
いつか、この人の指揮で演奏したい。そんな甘い希望を抱いたものだ。
ああそれなのに、こんなの、詐欺だ。
「あ、今俺のこと超高校級のチャラ男とか、ナンパ師の方が似合ってるとか思わなかった?」
「なっ「ずぼしー」」
我楽は人差し指で、ツンツンと赤松の鼻を突っついた。
そして、その手で赤松の頬を包み込む。
「なんで教えてくれなかったんですか」
「だって赤松ちゃん俺のファンでしょ?」
「知って、たんですか」
途端真面目になった表情と声色に、自然と赤松の表情も釣られてしまう。
「うん。知ってた
君がいつも俺のコンサート聞きに来てくれてることも、すごいピアニストだってことも」
だからと続ける。
「ここで待ってたんだ」
君が入学するのを。
「それで、できれば指揮者じゃなくて、狼我楽に好意を持って欲しかった
僕がピアニストでなく赤松 楓に惹かれたみたいにね」
言いながら手を離すと、チェシャ猫の顔。おどけて、先ほどの空気を流してしまう。
なんだか、凄いことを言われてしまった気がすると、先程まで我楽が触れていた頬を赤松は触って、顔の火照りを誤魔化そうとした。
「けどね、我慢出来無くなちゃった
早く楓ちゃんを手にいれたくて
ね、指揮者の俺、好きでしょ?」
「・・・我楽先輩の演奏”は”好きですよ」
そのまま顔を隠して照れ隠し、愛おしくそれを見た我楽は、右手を顔から引きはがすと、紳士じみた動作で口付けた。
「演奏、ねぇ
じゃあ、手始めに超高校級のピアノ協奏曲とかどうでしょう―――ショパンの第一番とかね」
もう降参だと、赤松は思った。
(2017/04/16)